2010年2月18日木曜日

裏面とパソコン

ある掲示板にて。

「成功者は前を向いてがんばっているよ」

それにたいして別に人が言う。
『そうやって人は嫌なことから目を逸らすんだ』

私は完全に前者の発言をするタイプだ。
そしてそれを“ポジティブ”と信じている。
で、その反対は“ネガティブ”だと思う。

でも、なんか違うような気がした。

…反対は“リアル”か?

確かに、現実を見ないで判断したり、
希望を持つのはあまりにも浅はかな気がする。



実は今、大学受験について色々調べていて、
予備校の情報なんかを集めているのだが。
(…あくまで無駄な努力に終わる前提で!)

私、自分も浪人考えていて、
実際夏までちょいちょい勉強したり、
AO受けたりしていたわけで。

気質というか、価値観の問題かもしれないけれど、
自分が挑戦することに間違いは生じないと考えていたし、
なぜか(仮面)浪人は絶対受かると思っていた。

結局今の状況にそれなりに満足しているから、
なんとも言えないちっぽけな人間なんだけどね。

話を戻すと、
自信(≒過信)があった理由は、支えがあったから。
多分その支えは、「約束」や「仲間」、「目標」。
…そんな感じかなあ。

逆にそれがあったから限りなく高みを目指していたし、
目指せていたんだと思う。



おさえの某私大は、合格通知をもらった瞬間に捨てた。
「ここは、試し。特待じゃないなら行かない。」
目指した所に向かう通過点は、
時期を問わず“通過点”でしかなかったんだよね。
今となってはその行動が恐ろしすぎて。

現在通っているのももともとはおさえで、
運良く12倍を超えて合格したんだけど、、、

確か、別の学校の入試の日に合否発表があって、
試験開始の寸前に発表を見た気がする。
それも何故か大丈夫という自信があったから。
それだって今思うと、恐すぎ!


ここから単純に思うことは、

理由や、ゴールが明確にあるが故の自信だったこと。
そしてそれらが無かったら、進めなかっただろうということ。

私は、将来アナウンサーになる。と決めて10年間生きてきた。
もちろんこれこそが、大切な人との約束でもある。

でもそれがなったら…、と考えると今の自分は無い。


そしてそんなことの次に思う(気付いた)ことは、

私はいつも、希望の裏側に目を向けていない。
「最悪の結果」から目を逸らしたがる。

時には悪い結果に出会いたくないばかりに、
始まりをつぶす事さえある(…気がする)。


確かに、悪いことやショックの大きいことは嫌いだし、
二度と出会いたくないと思っている。

でも、私があれらのショックから学ぶべきことは、
悪いことに出会わない生き方の作り方じゃなくて、
「悪いことをどう捉えていくか、どう転換させていくか」、
だったんじゃないかと。

…なんかこの間と同じようなこと書いちゃったな。


何が言いたいのか分からないけど、
裏面を見るって、多分大事なことなんだよね。
((あくまで一般的には。

私は基本的にそういう考え方無いけど。
小論文書くとき意外は、
視線は一本まっすぐあれば十分だったし、今も。

でも、それはゴールが自分なりにあるからで、
それが無い人は、裏面を見る目を養うことが“良い”のか…な。

結論で無いけど、
裏面を見るということに気付けたのは、
ちょっと(今件では)考えに幅がつくなあ。


てか、一人の人と関わるだけでこんなに学べるなんて、すごい。
ま、彼を中心にいろんな人とつながって学んでいるのだけど。


こんなに成長させてくれたんだから、
私なりに恩返しをしないといけませんね。

私はレールを敷いてあげることはできないけれど、
足跡のつけ方なら教えられるかもしれない。

つまり、一歩一歩の踏み方なら教えられるかも。

「何ができるかな?」
そう考えるときって、不安と希望がもみくちゃになった
“変な色の波”が襲ってくるからすき。すごくすき。






さて、さっき書き忘れたことをひとつ。
ふと、バイト先のPCで4月のスケジュールを見ていたら、
(これって結局シフトみたいなもんなんだけど、)

今年度で卒業される先輩たちの名前がそのままで、
まるで夢を見ているみたいで、悲しくなった。
「おばかなパソコンちゃんだなあ~」と思った。

でもそのままだったらいいのにな、と思った。

そして今(非常にノスタルジックになっていてw)、
「自分もいつかここを卒業するんだなあ」、と思った。

周りの同期もみんな夢を持っているから、
ひとりひとりそれを叶えて生きていくのかなあ、と。

早ければ3年後、私はどこにいるのかな。

だれかに何かを伝える人間になれているのかな。
(もうこれは、なるけどさ!)

誰かのアシスターになれているかなあ。
(これだって、なるけどね!!)

いつだって先輩後輩には恵まれてきたから、
きっとここでも素敵な後輩ができて、
いつか今日の私みたいに、おばかなPCに
センチメンタルにさせられる子が出てくるんじゃなかろうか。
…という謎の淡い期待。


自分の高校卒業から1年だけど、たいして変わらぬ日常。
そして多分たいして変わっていない、同級生。

「みんなどっかで生きてりゃいいや~。」

新しい生活をちゃんと見つけられたとき、
誰かに見つけてももらえたとき、居場所ができたとき、
そう思えることを知っているから、
卒業はもうこわくないのです。

多分、あと3回くらい4月スケジュールをPCで見る。
そのたびに先生の名前は少しずつ消えていくはず。

一気に見たくないから、何回かに分けて過程を追っていく。
そうしたら、きっとこの固い頭もすんなり理解するはず。

ゆっくり気持ちを変えていくのです。



うわあ、1時だあ。