2010年9月27日月曜日

ユメウツツ交差点

私の夢、それは言葉で社会を伝える事。

でも、最近それがグラグラと揺らいでいました。
どこからか吹く、風のせいなのかと思っていましたが、
結局、外的な要因ではなくて、

自分の中にあった不安や迷いが、
現実の問題とぶつかった事で生じたぐらつきでした。


その事実が何かというのは、うまく表現できないのだけど、
とにかく自分の挑戦したい仕事とは違うんです。

私は(時々自分のために)言うようにしているけど、
明日も明後日も、一週間後も一ヶ月後も、一年先も、
何十年先も、死ぬまでずっと、「私」でいたいんです。

○○大学の私、△△会社の私、じゃなくて、
「わたし」は○○大学に行ってる。的な表現がしたい。
いつでもそう言える自分でいたいんです。

そして、それが、私の目指す職業では難しいことには、
心の奥底では、もうずっと気がついていました。

特に技術的な面を身につけるようになってから、
自分のなかに生じる「違和感」を押さえつけて前進してきました。

どんな感情を引き連れてであれ、
前進はいつも新しい世界を見せてくれます。

でも、進めば進むほど違和感は強まってく一方でした。

そして、昨日ある本に出会って、
完全に夢が生まれ変わろうとしています。



私がなりたいのは
「日本」の「テレビ局」の「アナウンサー」ではない。

ここ数ヶ月、日本のニュースより海外のニュースを見ていて、
キャスター(この時点でアナではない)の伝え方に対して、
国内外では表現の仕方・言葉の選び方が全然違う事を知りました。
そして、日本だけで物事を考えているのは狭いな、と。

この点に関しては、結構ポジティブなところにたどり着きました。
それは。自分の夢に勝手に行き詰まりを感じていたけど、
私の視野が狭かっただけだな、と思うことができた事です。
「私」が「私」のまま、「私」の表現ができるの場所も絶対にある、
そう確信できました。

テレビ局でではない、というのはそのままです。
これは完全に内田先生のメディア論に飲まれた感じです。笑
やわらかな創造性に欠けるものは、私に取っては意味が無い。

アナウンサーっていうのも、違和感を感じるようになった。
もうこれは去年の冬からさりげなく悩んでいたのだけど。

…アナウンスって、正しく読むことなんですよ。
もう私は「正しい」なんて言われちゃうと、
それってなに?という疑問が頭から離れないんです。

人のためになる正しさはもちろん大切にして生きていきたいです。
でも、文字を読む正しさって、どう解釈したらいいのか。

発生や滑舌、テンポのことだよと言われればそうだけど、
「正しく」っていうのが、腑に落ちないんです。
これって自分を殺すって事でしょ?
それがどうしても理解できない。

私はもっと発信する人間になりたい。
ひとが決めた、あまりに抽象的な「正しさ」を探すだけの人生は送れない。

イメージ的にはジャーナリスト。
ただ、ジャーナリスト的な感覚があるとも言えない。
でも、キャスターかって言われるとまたそれも違う。
ここで話は戻りますけど、結局「私」でありたいんです。


夢が変わる事は、とても怖い事です。
私にとって、多分、夢こそが人生。
どんなに辛いときでも夢があったから頑張って来れた。

それを、現実を知ったからって簡単に諦められない。
そういう気持ちは、確かにあった。

でも、自分にウソをついてまで、愚直に追うものではない、
そう思うようになりました。

「すきなことをしている姿がすき」
この言葉が、あの大好きな声が脳内でこだましました。


しばらくは、ゆっくり現実を生きてみます。
また夢にぶつかる交差点に差し掛かれるよう、歩き続けます。


ユメウツツ交差点を、ウツツ方面に通過。