チームというのは、
「わたし」でも「あなた」でもなく「わたしたち」。
それは、個人ではなく、「個人の集まり」です。
最近の社会の流れって、やたら個人を際立たせる。
セルフブランディングとか典型的な気がする。
「わたしが、わたしが!」って社会。
ちょっと話が逸れますが、
(前にも似たようなことを書いたと思うんですが、)
会話ができないっていうことが増えてきた。
『こんにちは、○○(名前)です。君は何している子?』
こういう会話の始まりが増えてきた感じがする。
もちろん社会に出たら普通の流れだとは思うのですが、
学生も社会人みたいな人が増えてきている。
どんな活動をしているのか、
どんなことに対して関心(問題意識)を持っているのか、
そんなことから始まるやりとりは、
主張のぶつけ合いであって、会話ではないと思う。
私はできることなら、初めて会った人とは、
好きな食べ物とか、昨日は何してたとかいう話がしたい。
この人にはこれ話そうかな、いやどうしよう…
って考えるのが会話の醍醐味だと思っているけど、
時々空に向かって話しているような気分になるのです。
…そんな話はさておき、
要するに「個」をやたら強調する時代が来ている感じ。
それに伴って「チーム観」も変わってきているんですか?
今日ある方から聞いた言葉が、頭から離れません。
(以下、私の考えであり、お言葉はあくまで問題提起)
「(チームの中で)各々のレベルに相応のスキルを発揮しよう」
この言葉を聞いたとき、え?と聞き返しそうになりました。
それって正しいの?というのが正直な気持ちです。
チームは、外から見た時にまとまりがあればOKではなく、
チーム内でも共通認識、目標があるものですよね。
個々が努力することによって、
対外的に私達のチームの価値は上がるのかもしれませんが、
内部の環境は対外的な価値によって、
ないがしろにされてしまうような気がしてなりません。
私は、できれば平和に穏便に組織形成をしたい。
多分すごく深いところで、変化を嫌っているんだと思います。
でも、そういう風に安定しが組織ができたら、
波風に負けずに構えていられる気がするんです。
そのためには、揺るぎない共通項を持っていたい。
でも、今それができていないと思うんです。
「“わたしが、わたしが!”社会」が助長されているから。
考え方が古いのかもしれないけど、
私は、個々が頑張る“だけ”のチームは、チームとは思えない。
少なくとも、私にはそういう所は向いてない。
「わたし」は「わたし」が求められている場面で
「わたし」であればいい。
「わたしたち」が求められる場面で、
「わたし」が出てくる必要あるんでしょうかね。
そんなことを思った雨の強い日。