2011年10月15日土曜日

カーテン

いつか何かの文章で、
母親という存在をカーテンに例えたものを見ました。

カーテンに包み込まれれば温かく守られますが、
強く包み込んで、外の世界を遮断したり、
絞め殺すことも出来るという意味だそうです。

また、母親に限らず、「親」というものは、
壁として存在する物だと教わったこともあります。

意味としては同じく、子を守る物であることがひとつ。
そして、道を妨げるものであることがもうひとつです。


「親」と言うのは、すごく矛盾した役割のようです。

同時に、「子ども」というのもまた、
矛盾した表裏の役割を背負うことになります。

守られながら、いつか親という呪縛を解く。
…結構ドラマ性のある現実に思えます。



守ってくれる物に対して、
いつかはそこを力づくで脱しなければいけません。
それはもう、きっと長い時間をかけて、
時に激しい痛みを伴うのだと思います。
でも、でも、きっと必要なこと。


私は、指一本として触れられようともせず、
ただこの存在と一定の距離を置いて生きてきて、
だけど本気で離れることを決めきれない。

中途半端な位置で、客観的に俯瞰して、
この物事に真摯に取り組めていない。

私は心のどこかで、現実の世界では、
こういう甘えじみた選択肢がぬかり通る、
ということを経験で知ってるんだと思います。


今までもこうやって生きて来れたから、
多分これからもそうなんです、かね?

だとしたら、嫌ですねー。