いつか何かの文章で、
母親という存在をカーテンに例えたものを見ました。
カーテンに包み込まれれば温かく守られますが、
強く包み込んで、外の世界を遮断したり、
絞め殺すことも出来るという意味だそうです。
また、母親に限らず、「親」というものは、
壁として存在する物だと教わったこともあります。
意味としては同じく、子を守る物であることがひとつ。
そして、道を妨げるものであることがもうひとつです。
「親」と言うのは、すごく矛盾した役割のようです。
同時に、「子ども」というのもまた、
矛盾した表裏の役割を背負うことになります。
守られながら、いつか親という呪縛を解く。
…結構ドラマ性のある現実に思えます。
守ってくれる物に対して、
いつかはそこを力づくで脱しなければいけません。
それはもう、きっと長い時間をかけて、
時に激しい痛みを伴うのだと思います。
でも、でも、きっと必要なこと。
私は、指一本として触れられようともせず、
ただこの存在と一定の距離を置いて生きてきて、
だけど本気で離れることを決めきれない。
中途半端な位置で、客観的に俯瞰して、
この物事に真摯に取り組めていない。
私は心のどこかで、現実の世界では、
こういう甘えじみた選択肢がぬかり通る、
ということを経験で知ってるんだと思います。
今までもこうやって生きて来れたから、
多分これからもそうなんです、かね?
だとしたら、嫌ですねー。