私の「俺」の誕生日です。
こんな大事な日に一人でぼーっとするなんてできなくて、
どうしても「思い出」に会いたくって、
陽炎でもなんでもいいから「俺」と「あんた」に触れたくって、
湘南方面へ行ってきました。
イルカに会いたくって、えのすいへ。





つむじの上に、千切れそうな飛行機雲を見た。
海とイルカと空や花。
いつもは忘れてしまうものが視界に淡く広がっていった。
そして全て忘れそうなくらいに優しく、滲んで、歪んで見えた。


そして、八幡宮の桜。
「哺乳類はあんたとイルカ、花はさくらが、すき。」
嬉しくって日記に書いた思い出の一言を思い出す。
空は晴れていなかったけど、もう桜が咲いていたよ。
私はこれからも君の好きなものを私だけで独り占めする。
君の分まで五感を尖らせて全身で受け止めて、感じる。
でも、そうしたいわけじゃないってことを知って欲しい。
私は、「俺」を思うたび喪失感に襲われて、
「あんた」じゃいられなくなる。
だからと言って、追い出そうとする…こともできなくって、
私はよそ見をして「俺」から逃げ出そうとする。
そうしているうちに、なんとなく掴めたものとかもあって、
「これが答えかな」とか思えるようなものもあって。
でも、「俺」がいない事実はふとした瞬間に襲ってきて、
代わりなんか無いんだなあ、とまた戻ってきてしまう。
いったい、いつまでこういう堂々巡りを繰り返したら、
私は「俺」といたころの「あんた」に近づけるのか。
「俺」がいない世界は、私が生きるべき世界なのか、
そういうことを考えてしまうんだよ。
そんなこと言ったって、時間は勝手に進んでて。
誰が望んだでもないのに、私は19歳になっちゃてて。
16歳で止まったはずの時間は、本当は無いのかな。
私が頑なに立ち止まって忘れないようにしているだけで、
本当は時間は流れ続けているのかな。
そして私はまた、こんな事実にぶつかるたびわからなくなる。
…「俺」はどんな指をしていたっけ。
…「俺」はどんな耳をしていたっけ。
…「俺」はどんな髪質をしていたっけ。
そういう、忘れたくなかったことを思い出そうとしているとき、
自分が別の人間になっていってしまっている気がして、気持ち悪い。
確か人は7年でほぼ細胞が別の人間になるんだよね。
あと4年ちょっとで私は「俺」の知らない、
「あんた」の知らない私になってしまうんだね。こわっ。
それでも、「俺」を忘れない「あんた」がいたら、
もうそれはきっと離れられない運命と思っていいんだよね。
とりあえず4年後のことは知らないし、どうでもいい。
春君、今の私は君に教わったことがたくさんあるよ。
君がいなくなって、私は「君がいて成り立っている」と知った。
離れてから、そばにいたいと強く思うようになったよ。
わがままだけど、そばにいるときは、気付けなかっただけです。
君をもっと愛して、愛されて、一緒に生きて、一緒に死にたかった。
こんな不確実でドラマヒロインみたいなことを、
書きなぐってしまうくらい、私は君が大切で、大切。
今日のブログはなんのメッセージ性もなくて、
読んでてストレスがたまると思います。ごめんなさい。
でも、あえて今の私が言えることがあるなら、
“当たり前を大切にしましょう”、ということですかね。。。
“普段気付かないこと”に気付けたら、忘れないでください。
くっそ、なんか生ぬるい感じになってしまった。
あー、にくいけど、あいしてるぞー、でもにくいぞーと叫びたい。