家族社会学、ってなに?
と聞かれることが多々ありますが、
とりあえず、家族を軸に社会学するんです。
私は「家族」という響きに、
かなり強い憧れがある方だと思います。
学んでいて初めて知ったのですが、
家族は象徴やイメージと言ったものでしかなく、
ひとつの「概念」にすぎないそうです。
私は、家族というものは、
どこかに存在すると思って生きてきました。
お父さんと、お母さんと、兄弟姉妹がいて、
みんなで食卓を囲んで、
笑顔が絶えなくて、なんでも話せる。
そういうコミュニティを「家族」と言うんだ、
と思い、ずっとずっと憧れていました。
実際は、父親は仕事でほとんど家にいなくて、
母親も趣味に仕事にと忙しい人で、
自分は習い事とその練習の毎日。
苦ではなかったけど、
自分の描く「家族像」とは全然違いました。
車が新しくなったとき、
家をあたらしく買ったとき、
「ものの豊かさ」に心は追いつけなかった。
家族全員で車に乗るなんて滅多に無くて、
引っ越しの時も父親は海外に居ました。
母親が、大きなソファの位置を、
ひとりで変えようとしている姿を見て、
なんだか、どうしようもなく寂しかったです。
弟とも何年もまともに話していませんが、
行動はよく似ているもので、
家に居る時はお互い部屋から一歩も出ません。
母とはここ何年か仲がいいのですが、
父や弟と同じ空間にいると、緊張します。
これが「私の家族」です。
家族が連邦国家みたいになってることは、
恥ずかしくて、自分にとって汚点でした。
「結婚したくないし、しても幸せになる自信なーい。」
なんて言い続けてきたのは、冗談ではなくって、
「自分の家族」しか知らなかったからです。
家族は孤独を味わうところだと思っていました。
理想と現実がどんどん乖離していく日々と、
人知れず闘ってきたつもりです。
それを変えてくれたのが、
「家族社会学」との出会いでした。
私の憧れていた「家族」というのは、
象徴にすぎないものなのだと知ると同時に、
自分が育ってきた家族には、
現代社会と密接に関わる問題があったんじゃないか、
と気づかされました。
あ、これは私が取り組むべき学問だ、と。
何度も書きますが、
「家族」というのは象徴です。
でも、基本的には誰もが有するコミュニティ。
しかも、最初に出会って、一生切れない縁。
どんなに憎む日があっても、
消すことはできない強い強い色です。
私はそのコミュニティに潜在的な、
「可能性」を堅く信じているのです。
今となっては私も自分の家族にわりと肯定的ですが、
そう思えるようになったのは、3年前くらい。
だから私は、早い年齢から、
「自分の家族が好き」と言える人を増やしたい。
そして、そういう仕組みをつくったり、
自分の生き方で体現したいと思っています。
ただそれは、私にしかできないことではないし、
私自身が考えるの「家族」の意味、
みたいなものの持論もまだ曖昧です。
だから、学問レベルで、理論を駆使して、
誰かの相談にのってあげたりはできない。
だけど、自分が死ぬまでにひとりでも、
「あなたのおかげで、家族が好きになった!」
って心の底から言ってくれたなら、
その瞬間こそがきっと、
私が「家族社会学」に出会った意味になります。
今は、その瞬間に近づく為の日進月歩です。
なぜか結構思い切ったことを書いてしまった。