ブログにアーカイブを設置していない、
(厳密には“設置をやめた”)理由は、
意外にきちんとあります。
過去に戻っていくという行為は、
それ相応の時間と面倒臭さが必要だと思うのです。
一昨日というのは、「昨日にとっての昨日」で、
一ヶ月前というのは29日前の昨日なわけですよね。
それっていうのは、ごくごく当然で、
多分、説明するとややこしくなるようなことです。
時間を、積み重ねてきたんです。
そしてその心の断片を、感動の切れ端を、
こうして文字にしてきたわけです。
今日の気づきは昨日の喜びにヒントをもらってたり、
7日前の衝撃は10日前の発見につながってたり。
全部がこうして積み上げられていると思うんです。
だから、アーカイブでダイレクトに、
「○月○日の自分」へアクセスすることに違和感を感じます。
もちろん、実用的な文章を書いている人は違います。
あくまでこれは私の話です。
自分で書いた文章であっても、
そう簡単に、心まで戻っていけません。
一歩ずつさがっていかないと、辻褄が合わない。
そんなことを考えて、アーカイブは消しました。
そしてそれは日常生活でも似ています。
人生の中で通ってきた特別な話や経験。
それを話すには相当気持ちを整えてないといけません。
普段なら話したりしない特別な話を、
自分からふいに口にしていたことに気づいて、
相手が一緒に巻き戻ってくれたんだな、と。
特別な話を持ちネタ扱いできなかった。
なんていう弱い気持ちが結局は、
こうして信頼できる仲間を、
見つけさせてくれたというのですから、よかった。
ゆったりした時間旅行をすることは、
出来事だけでなくて、心も思い出せる気がします。
そして私は、こうした時間は価値がある、と思います。
だから日常生活でも、アーカイブは使わない。
そんなこだわりがあったりします。