2011年2月17日木曜日

アーカイブ

ブログにアーカイブを設置していない、
(厳密には“設置をやめた”)理由は、
意外にきちんとあります。


過去に戻っていくという行為は、
それ相応の時間と面倒臭さが必要だと思うのです。

一昨日というのは、「昨日にとっての昨日」で、
一ヶ月前というのは29日前の昨日なわけですよね。

それっていうのは、ごくごく当然で、
多分、説明するとややこしくなるようなことです。


時間を、積み重ねてきたんです。

そしてその心の断片を、感動の切れ端を、
こうして文字にしてきたわけです。

今日の気づきは昨日の喜びにヒントをもらってたり、
7日前の衝撃は10日前の発見につながってたり。
全部がこうして積み上げられていると思うんです。


だから、アーカイブでダイレクトに、
「○月○日の自分」へアクセスすることに違和感を感じます。

もちろん、実用的な文章を書いている人は違います。
あくまでこれは私の話です。


自分で書いた文章であっても、
そう簡単に、心まで戻っていけません。
一歩ずつさがっていかないと、辻褄が合わない。

そんなことを考えて、アーカイブは消しました。



そしてそれは日常生活でも似ています。
人生の中で通ってきた特別な話や経験。
それを話すには相当気持ちを整えてないといけません。

普段なら話したりしない特別な話を、
自分からふいに口にしていたことに気づいて、

相手が一緒に巻き戻ってくれたんだな、と。


特別な話を持ちネタ扱いできなかった。
なんていう弱い気持ちが結局は、
こうして信頼できる仲間を、
見つけさせてくれたというのですから、よかった。


ゆったりした時間旅行をすることは、
出来事だけでなくて、心も思い出せる気がします。
そして私は、こうした時間は価値がある、と思います。

だから日常生活でも、アーカイブは使わない。


そんなこだわりがあったりします。