ふと思い出したので書いてみます。
祖父にとって、私は初孫でした。
バスの運転手をしていて、
家にバスの会社と車庫があって、
家にはいつもバスが10台くらいありました。
私の母(祖父の娘)が、
「人の命を背負う仕事、素敵な仕事」
と言っていたのを鮮明に覚えています。
基本的には明るく優しかったのですが、
礼儀作法にとても厳しい人で、
挨拶や物の食べ方、座り方でよく怒られました。
今でも忘れられないのは、最後に怒られたこと。
私が祖父の家でテレビを見ながら、
飴を食べていたら、だらしがないと怒られ、
飴の袋の開け方(縦空け)が汚いと言われました。
当時小学校高学年くらいだった私は、
正直うざったくて、生返事をしてしまいました。
すると祖父は一言。
「もう二度と来るんじゃない。」
そう放って、部屋を出て行きました。
その数ヶ月後、祖父は体調を崩し入院。
どんどんやせていく姿を見て、
扱いようの無い不思議な感情に包まれました。
二度と来るなと言われて以来、
仲直りをしていなかった私にとって、
いつもお見舞いは居心地が悪いものでした。
謝りたいけど、謝れない。
そういう気持ちでもやもやとしていました。
両親の気遣いもあってか、
弱っていく祖父の姿と対面したことは
合計しても10分あったかどうかくらいだと思います。
ある日母と私と弟でお見舞いに行き、
返り際、母が「また来ます」と言った時、
本当に今にも消えてしまいそうな儚さで、
祖父は、私に手を振ってくれました。
二度と来るな、を許してくれたような気がして、
なんだか、とっても苦しくなりました。
私は、ありったけの力で手を振りました。
何も考えず、唐突に手を振りました。
次に会った時は、もう息をしていない姿でした。
姿を見るなり、訳も無く涙がぽろぽろあふれました。
居合わせた親戚の方にふと、
「(孫の中で)一番長く一緒にいたから悲しいのね。」
と言われましたが、厳密には違いました。
「ごめんなさい」が言えなかったこと。
それが悔しくて、申し訳なくて、ただ涙が流れました。
そして慌ただしく送りの準備をしているとき、
喪中はがきの宛名書きを手伝っていたとき、
その文面に「永眠」と言う言葉を見つけて、
やっと、現実におこったことを理解できたとき、
今度は純粋に悲しくて、涙が止まりませんでした。
祖父との最後の思い出は、怒られたこと。
実は、これは母にも言ったことがありません。
でも私は今までもこれからも、きっと忘れられません。
謝れなかったことを、きっと忘れられません。
「終わり悪ければ全て悪し」
なんてことではありませんが、
やはりすぐ謝っていれば「ごめんなさい」の涙なんて
要らなかったのだろうな、とは思ってしまいます。
「ありがとう」の涙を流したかった。
それは、きっと後悔として残り続ける気がします。
天国でも、元気なのだろうか。