あんな風に自分は撮れない、とか。
そういう会話がそれとなく転がることは、
特別でないと言うか、よくあると思うのですが、
写真には、その人の見ている世界が、
如実に反映すると思っています。
多分言葉にすると胡散臭いような、
本当に単純なことなんですけど、
弾んだ気分のときに撮る写真は彩度が上がり、
澄んだ気分でシャッターを切れば明度が上がる。
例えは色々あるでしょうけれど、
そういうものだと思っています。
私が撮る写真は比較的、彩度も明度も低いです。
だけどわざとそういう作風にしているとかではなくて、
勝手にそういう感じになるんです。
そして、自分が見ている世界の色とよく似ている。
心の動きともよくリンクしている。
私が「好きだな」と思う写真は、
彩度が安定した、明度が高めの作風。
色相は、寒色、というか澄んだ色のもの。
ピントの合わせ方も、好みがあったり。
だけど自分には撮れないんです。
そういう風には世界が見えていないから。
この人が撮る写真好きだな、というのは限りなく、
この人が見ている世界は素敵だな、に近い気がする。
時としてこの人と一緒に居たらこの世界が見えるかな、
とまで墜ちていくこともあるのかもしれません。
逆に、どんなに引力を感じても、
撮る写真が好きになれないと、だめだと思うこともある。
(つまり、個人的には結構重要なことです。)
実際に写真の趣味があう二人(恋人でも、友達でも)は、
わりと長くその関係が続くと思うのですが。
こんな本音を言っても仕方ないんですけどね。