2012年2月24日金曜日

歩きつづけて どこまでゆくの?
風に尋ねられて 立ち止まる

いくつもの であい
いくつもの わかれ
まぼろしのような 思い出も すこし


昔の船が、どうして進むか知ってる?

当たり前すぎてため息をつくかもしれないけれど、
帆に風を受けて進むんだよ。

どんな風も、受ける向きを調整して、追い風にする。
そうして、遥か遠くの国に進んだんだってさ。


私は「風」が好きです。
言葉そのものも、そこに宿る響きも雰囲気も温度も。


昔からブランコに乗ると、「風」になれました。
自分で向かい風を起こす不思議な乗り物。
後ろに引かれるときの猛烈な焦燥感。

ひとりでこっそり公園に行って延々と漕ぐブランコで、
季節を変える風を、幾度も吹かしてきた気がします。


今でも、風に当たりたくて、よく散歩に行きます。
雲が流れると、その日の風の強さと向きが分かります。


少し前に、「風化」について書きました。

思いは風化する、という表現を使うことがあります。
誰かのことを心の真ん中に置いた日や、
悲しくって辛くって流した涙の理由が、
風になることを「風化」と言います。(たぶん)

だから、追い風でも向かい風でも、
当たる風は、その前身が多分「思い」です。


泣きたいときに風が強く感じたら、
それは「泣いて良いよ」という風かもしれません。

楽しい時に穏やかな風とすれ違ったら、
それは「その気持ちを忘れないで」という風かも。

そして「あんなに心に響いたのに忘れちゃったな」
と思うようなことがあればその感動はきっと、
風になってどこかへ行ったのかもしれない。

風が吹く度に、私もあなたも、その辺の人も、
「思い」に吹かれている。
どこかの誰かが心を風化させて、世界中に放ったから。

毎日毎日、みんなそうやって生きている。



あなたの居る場所に風が吹く限り、独りじゃないんだよ。
私は、そんな気がする。

大きく帆を張った船が、どこまでも進めますように。

いつまでも、風が吹きますように。