学校前のお堀に立ち寄ると、桜が咲いていました。
私が入学した頃は、入学式や新歓が満開だったような。
母親が某所の桜祭りの冊子を持ってきて、
「友だちと行けば?」と言われた時、
もう、みんな社会人になって遊べないんだなぁ、
とふと思ったとき、また寂しくなるなぁと思いました。
卒業していく大好きなみなさんに。
私は、友だちがいない、というか、
浅く広い付き合いしか出来ないけれども、
ゼミのみんなには大変お世話になったと思っています。
というか、本当に色々勉強になった。
私は、文字通りの「勉強」ができることが最善と思っていたけど、
そうじゃないんだな、と分かったのは、
ゼミの皆と関わったからなんじゃないかと思います。
本当に、自分の思考が変わった場所だと思う。
ゼミ以外に、バカみたいな恋に振り回された時も、
連日連夜ずっと話を聞いてくれたり、
その時に限らず家に泊めてもらったりもした。笑
あんなに嫌な思い出を、笑って話せるのも、
ゼミの友だちがいたおかげにほかならない。
この出来事も含めて、
私のことをよく分かってくれるある友だちに出会えたことは、
これから先なかなか会うことが無くても、
もう二度と深い話をすることがなくても、
一生私を支えてくれるであろう記憶だと思います。
総じて、なんとなく人間らしくなった気がするのは、
このゼミに入ってみんなに出会ったからだと思う。
未だに、何考えてるかわからない、
とか思われている気がするけど(笑)、
私は、TTC'12のみんなが本当に大好きで、
ひとりひとり、敬意と感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に、本当に、ありがとう。
そして、色んな所に遊びに行ったお散歩隊の皆さん。
どうせ当人たちはこれを読まないと仮定して、
ふと思い出した発足のきっかけを。
私は当時今はほとんど参加してくれない老け顔の人と、
仲が良かったというか、飼い犬のように過ごしていたのだけど、
後のお散歩隊の一人が、部活辞めたと聞いて、
それ放っておいたら大学やめちゃうんじゃない?
みたいな話になって、
外で遊ばせよう!みたいな企画だったんだよね。
本当に、勝手な考えだと思うけど (笑)、
私が、怪我で高校の部活辞めた時は、
他にすること特になくて高校自体を辞めそうになって。
でも部活と関係ない人がずっと外に連れ出してくれて、
なんとか卒業できた、的なところあったから、
なんか足しになれば良いよね、私達もヒマだし!みたいな。
ビバ安直思考。
そんなことを恐らく当人たちはつゆ知らず、
いつも発作的に「どこかに行こう!」という私を、
なんて愚かな奴だと思っていたであろうに、
なんか色々楽しい思い出を作ってくれて。
結局は、私だけが楽しかったみたいな感じでした。笑
一方で、高校のときにも、
私は遊びに行くのは男友達しかいなかったのだけど、
なかなか、男女の友情って長くは続かないよね。
高校の時もあれだけ仲良かったけど、
それって多分、高校という物理的な環境とか、
制服を着ていることとか、なんか色んな条件が、
上手に補完しあうことで成り立っていたんだなぁと思う。
だからさ、もう同じように悲しむのとか嫌だから、
どこかで一生懸命冷静にいようとはしてるんだけど、
やっぱり当たり前に寂しいですね。
でも、別れが名残惜しいと思える友だちが出来たことの、
嬉しさの方が、何倍も何十倍も強いです。
卒業おめでとう。私はもう少し、大学生します。
本当は、夏で大学辞めようか迷っていました。
この一年度は色々と切迫した状況に差し迫られて、
(というか自分で自分の首を絞めた感は強いが。)
結構、人生の中でも苦労が多かった気がします。
正直、写真や日記で記録したことの半分も、
記憶は残っていなくて、それくらい辛かった。
でもその分、濃い一年だったことも確かです。
その濃さの中で、崩れ落ちそうになる私を、
沢山の人や事柄が支えてここまで連れてきてくれました。
言葉にしきれないくらい、感謝しています。
そして自分の時間が滝のように流れ続けた間にも、
みんなの時間も同じように流れていて、
気がつけば、明日の入り口がそれぞれ別の方向に。
あなたは私の知らない道を、私はあなたに見えない道を。
人生の明度や彩度は所詮、思い込みだと思います。
明るくなる、鮮やかになる、そう思えばそうなる。
袖振りあうも他生の縁。
一瞬でも目が合ったことのある全ての人の、
あふれるばかりの幸せを切に願っています。
卒業するみなさま、おめでとうございます。