そのうち、原体験と言うべきものは、
弟が生まれる時に父は家に母親と里帰りし、
私を祖父母に預けて病院に向かう母の姿だと思う。
「良い子にしててね」と、ひらひら降られた手は、
涙に滲んで指が何本か分からなかった。
…この話は前にも何度か書いているからやめよう。
私は、別離を過剰に恐れていると思う。
ものが捨てられない…というのは悪癖にしても、
何事も終わりが近づくにつれて、精神的にやられる。
とりわけ、人に関することは顕著に嫌い。
父親が出張に行くのも、少し嫌だったりするし、
あとは、周りの人がどこかへ行くとかも。
とにかく、この人が死んでしまったらどうしよう、
とか、考えてしまう。
だけど最近、というかここ半年くらいで、
さようならには「続き」があることを知りつつある。
およそ一年前、世界一周に行った友達が、
小さなオブジェをくれた。
帰ってから半年くらいが経過すると思うけれど、
あぁ、この人帰ってきたんだな。と、やっと実感した。
そして私はこの友人に「いってらっしゃい」を告げた時、
もう会えないかもしれない、と思ったことを思い出した。
その位、何か大きなものに飛び込んで行った人でした。
そこまで深刻に考えていた日々はいずこへ。
友人は前と変わらず、よく笑って、どっしりしていて、
力強く、とても明るくそこに居る。
あの時のさようならに酷く似た「いってらっしゃい」は、
「おかえりなさい!」という続きがあったようです。
ふくださん、本当におかえりなさい。
今更、しかもこんな所だけど、おかえり。
そして、まお。
彼こそが、今日の主役でした。
本当に綺麗な王子のような男の子で、
ガラスでできてるんじゃないかと思うような人です。
透明感と凛とした芯が同時に息をひそめている感じ。
沢山お世話になって、どうもありがとう。
まさか縁もゆかりも無い土地に行っちゃうとは…。
そしてあんなにも地元愛が強いとは。笑
きっと強い人だから、大丈夫だと思うけれど、
そういう風に片付けて心配りを怠るのは嫌だから、
私はいつも、応援していることだけは約束します。
あと、時々手紙書くね。
本当に、体に気をつけて。また会おうね!
あ、あと、えんどう。そのグローバル恋愛こそ叶えろ。