2013年6月25日火曜日

さようなら、の続き

私の強烈な「さようなら」の体験は幾つかある。

そのうち、原体験と言うべきものは、
弟が生まれる時に父は家に母親と里帰りし、
私を祖父母に預けて病院に向かう母の姿だと思う。
「良い子にしててね」と、ひらひら降られた手は、
涙に滲んで指が何本か分からなかった。

…この話は前にも何度か書いているからやめよう。


私は、別離を過剰に恐れていると思う。
ものが捨てられない…というのは悪癖にしても、
何事も終わりが近づくにつれて、精神的にやられる。

とりわけ、人に関することは顕著に嫌い。
父親が出張に行くのも、少し嫌だったりするし、
あとは、周りの人がどこかへ行くとかも。
とにかく、この人が死んでしまったらどうしよう、
とか、考えてしまう。


だけど最近、というかここ半年くらいで、
さようならには「続き」があることを知りつつある。

およそ一年前、世界一周に行った友達が、
小さなオブジェをくれた。
帰ってから半年くらいが経過すると思うけれど、
あぁ、この人帰ってきたんだな。と、やっと実感した。

そして私はこの友人に「いってらっしゃい」を告げた時、
もう会えないかもしれない、と思ったことを思い出した。
その位、何か大きなものに飛び込んで行った人でした。

そこまで深刻に考えていた日々はいずこへ。
友人は前と変わらず、よく笑って、どっしりしていて、
力強く、とても明るくそこに居る。

あの時のさようならに酷く似た「いってらっしゃい」は、
「おかえりなさい!」という続きがあったようです。

ふくださん、本当におかえりなさい。
今更、しかもこんな所だけど、おかえり。


そして、まお。
彼こそが、今日の主役でした。

本当に綺麗な王子のような男の子で、
ガラスでできてるんじゃないかと思うような人です。
透明感と凛とした芯が同時に息をひそめている感じ。
沢山お世話になって、どうもありがとう。

まさか縁もゆかりも無い土地に行っちゃうとは…。
そしてあんなにも地元愛が強いとは。笑

きっと強い人だから、大丈夫だと思うけれど、
そういう風に片付けて心配りを怠るのは嫌だから、
私はいつも、応援していることだけは約束します。
あと、時々手紙書くね。
本当に、体に気をつけて。また会おうね!



あ、あと、えんどう。そのグローバル恋愛こそ叶えろ。