2013年12月11日水曜日

思い出したこと、思うこと。

今日、長い。


昔、凄く身に沁みて勉強になったことがある。


塾講師をしていた頃、
ある生徒の受験に力添えしていた。
彼は努力家で志も目標が高かった。
だけどそれは自分を鼓舞する為に描いた高みで、
最終的な受験時の志望校、
身の丈にはあっていないところを並べていた。

並べていた、というか、確かに一緒に決めたのだけど、
私は「正直、無謀だ」という不安を伝えなかった。

偏差値7程度までの差だったら黙認していいかもしれないけど、
多分15くらい隔たりがあったし、科目的にも厳しそうだった。
これまで登ってきた山とは別の山に、
試験当日に飛び乗る様な受験の仕方だった。

彼の受験の前には、同じ生徒を見ている講師達に、
志望校を選びなおす勧めをすべきか、と相談した。
みんな程度の差こそあれ、不安は感じていた。
でもそこで出た結論は、「黙って応援する」だった。
押し文句は「彼が決めたことだから」という一言。
違和感はあったけど、時期が遅過ぎたことを、
ただただ悔しく、情けない、と思った。


結果は、全部不合格。
文字にするとあっさりしているけど、
なかなか堪えた。
努力した時間は無駄にはならなかったと思うけど、
「努力の使い方」を間違わせてしまった気がした。


あれ以来、私は、「選択肢」を出すことを心がけた。
世間ではそれを、保険とか保身とか言うかもしれないけど、
誰だって「自分一人」では見えない可能性がある。
せっかく会えた人の、人生に関われるなら、
自分の人生みたいに真剣に考えることにした。
「その人が決めたこと」の手前に、
数多の選択肢を並べて一緒に考えた時間を作ろうと思った。

それに、努力が「努力」と言われるのは、
結果が出た時だけのこと。
実らなければそれは無かったことになってしまう。
それを忘れないようにしないと、と思った。


それと同時に、自分の人生にも選択肢を見るよう意識した。
実際にできるようになったのはもっと後だけど、
幅を持たせることの大切さを知ったのは、この時だと思う。


それで今、私は私の人生について、
数年前とは全く違う世界で生きていくことを、
時間をかけて、覚悟した。

沢山の人にも助けられてきた。
優しく、厳しく、甘く、痛く、色んな形で、
ヒントをくれる人たちがいた。
そういう人たちに貰った選択肢で、今を作った。


それを、久々に出てきた他人に否定される筋合いは無い。
なんでそんなこと言われるんだろ?という、
純粋な気がかりではなくて、明らかな憤り。
迷惑を越えていて、怒りを伝えることすら面倒だった。

他人に出来ることは、選択肢を出すまで。
何を選んで答えにしていくかは、自分にしか決められない。
そしてその選択肢を出すには時間制限がある。
間に合わなかったら、黙って消えろ。

背負ったものも、棄てたものも、人並みにあるし、
考えて出した答えは一人で出したものじゃない。
後出しで持論を言い散らかすのは他でやってくれ。

綺麗に片付けて鍵をかけた箱を、
ひっくり返されるには、私がまだ未熟すぎる。



おしまい。