昔、凄く身に沁みて勉強になったことがある。
塾講師をしていた頃、
ある生徒の受験に力添えしていた。
彼は努力家で志も目標が高かった。
だけどそれは自分を鼓舞する為に描いた高みで、
最終的な受験時の志望校、
身の丈にはあっていないところを並べていた。
並べていた、というか、確かに一緒に決めたのだけど、
私は「正直、無謀だ」という不安を伝えなかった。
偏差値7程度までの差だったら黙認していいかもしれないけど、
多分15くらい隔たりがあったし、科目的にも厳しそうだった。
これまで登ってきた山とは別の山に、
試験当日に飛び乗る様な受験の仕方だった。
彼の受験の前には、同じ生徒を見ている講師達に、
志望校を選びなおす勧めをすべきか、と相談した。
みんな程度の差こそあれ、不安は感じていた。
でもそこで出た結論は、「黙って応援する」だった。
押し文句は「彼が決めたことだから」という一言。
違和感はあったけど、時期が遅過ぎたことを、
ただただ悔しく、情けない、と思った。
結果は、全部不合格。
文字にするとあっさりしているけど、
なかなか堪えた。
努力した時間は無駄にはならなかったと思うけど、
「努力の使い方」を間違わせてしまった気がした。
あれ以来、私は、「選択肢」を出すことを心がけた。
世間ではそれを、保険とか保身とか言うかもしれないけど、
誰だって「自分一人」では見えない可能性がある。
せっかく会えた人の、人生に関われるなら、
自分の人生みたいに真剣に考えることにした。
「その人が決めたこと」の手前に、
数多の選択肢を並べて一緒に考えた時間を作ろうと思った。
それに、努力が「努力」と言われるのは、
結果が出た時だけのこと。
実らなければそれは無かったことになってしまう。
それを忘れないようにしないと、と思った。
それと同時に、自分の人生にも選択肢を見るよう意識した。
実際にできるようになったのはもっと後だけど、
幅を持たせることの大切さを知ったのは、この時だと思う。
それで今、私は私の人生について、
数年前とは全く違う世界で生きていくことを、
時間をかけて、覚悟した。
沢山の人にも助けられてきた。
優しく、厳しく、甘く、痛く、色んな形で、
ヒントをくれる人たちがいた。
そういう人たちに貰った選択肢で、今を作った。
それを、久々に出てきた他人に否定される筋合いは無い。
なんでそんなこと言われるんだろ?という、
純粋な気がかりではなくて、明らかな憤り。
迷惑を越えていて、怒りを伝えることすら面倒だった。
他人に出来ることは、選択肢を出すまで。
何を選んで答えにしていくかは、自分にしか決められない。
そしてその選択肢を出すには時間制限がある。
間に合わなかったら、黙って消えろ。
背負ったものも、棄てたものも、人並みにあるし、
考えて出した答えは一人で出したものじゃない。
後出しで持論を言い散らかすのは他でやってくれ。
綺麗に片付けて鍵をかけた箱を、
ひっくり返されるには、私がまだ未熟すぎる。
おしまい。