2010年12月6日月曜日

2009.8.7.

昔のブログにアクセスしたら、
こんな記事があった。

ふうん。って感じ。

「「環」-2年間の貫徹」

帰ってから、ぎこちなくも「ただいま」の挨拶。
意外と明るく返ってくる「おかえり」。なんかちょっと嬉しい。

当たり前に出来たことが、いつからかできなくなって、
当たり前に出来なかったことがいつの間にかできるようになってて。
いつかは「環」のように戻るのかな。
時々思う。
始まりは「0」なのか「1」なのか。


今日ふと自分で言ったことに気づかされた。
逃げ場を作ったとき、その場に停滞することを選んでいた。

思い出を話すのは本当に楽しくて。
何がとかないんだけど、ドキドキワクワクして。
何より、「生きてる」感じを思い出せる。

でも、話せば話すほど、
「今」に戻れなくなるのがなんとなく怖かった。

そうやって、昔にも明日にも目が向けられないまま、
2年間も生きてたんだなー。

なんとか進んでるつもりでも、
寂しくて振り返っては引き返してみた。
戻る時のスピードの方が何倍も何倍も速かったんだと思う。

今日、一瞬だけ爆発したように話した。
どの瞬間とかいえないけど、目に映るものが全部キラキラした。

自分の中には、辛い記憶だけじゃなくて、
眩しくて熱い記憶があるんだなー。って
今日気づいた。というか、思い出した。

これ思い出すことをを押し殺してたら、
いつまでも「あの頃がよかった」って繰り返してしまうんだろうね。

私は、あの熱い匂いの空気を走ってる瞬間が、
朝早くに目をこすりながら緊張した冷たい空気を吸うことが、
ストレッチの時の苦いドキドキが、
体中にひびくボールの弾みが、
翼のようにしなやかに伸ばした時の腕が、
前に走り続ける時のみんなの横顔が、
手のひらの先に見える茶色い一等星みたいなボールが、
ネットをかする時の耳がこそばゆい音が、
休憩に飲む冷たい水が、
言葉に出来ない全力の苦しさが、
おさえきれない高揚感が、
考えて、感じてひとつのゲームを作ることが、

負けたくないと思う気持ちと、
このままでは終われないと思う気持ちと、
明日は今日よりなにか良くなってようと思う心と、
あきらめないというより、「あきらめられない」意地の悪さ。
そういうものを全部くれた。

大事なんだよ。
でも、大事にするだけじゃなくて、
消化しないといつまでも進めない。
…そーんなのーは、いーやだっ!

なんとかしなくては。

無気力とかじゃなくて、すごく疲れている。
2年間寝ていないかったんじゃないかというような感じだ。
これはいかん。
病院に通ってても治らないと言われたのは、
こういうことだったのかもしれない。
原因も答えも、自分の「環」の中で、
おいかけっこしてたようだ。

マイナスばかりに目を取られてたけど、
どうやらこの思い出は魅力的過ぎる。