「継続は力なり」と言う言葉がありますが、
いつかの誰かが、これは二つ意味があると言っていました。
・続けることで力が生まれる。
・続けること自体が力である。
棋士、羽生善治さんのプロフェッショナルを見て、
そのことを強烈に思い出しました。
「情熱を注ぎ続けることは当たり前に見えて、難しい。」
本当にそうだよなあ、と深くうなずきました。
「継続」という努力、それができる人間でありたいです。
最近、本当にもやもやっとした感情から離れられていない。
でも、今日この動画を見て、
「それは情熱を注ぎ続ける努力を怠ってるからかぁ」、
と縺れていた糸が解けていくように納得できました。
この天災に関しても、継続的に何ができるか考えていきたい。
一瞬だけ何かします!って言うのは誰にでもできるから、
長い時間をかけて考えて、行動していきたい。
全編はこちらでも見れます。
(ただ、中国語(?)のサイトに飛んでしまいますので注意です。)
話がずれますが、
そろそろ民放の報道劣化が言われてきましたね。
“そんなこと聞いたら酷”というのも増えてきました。
エンタメと報道の区別をしっかりしてほしいです。
でも、「今どんな気持ちですか。」
というのには一応意味があるんじゃないかと思っています。
荒療治ではありますが、
被災者に感情を表現させることで、
鬱病防止などになるのでは、と思っています。
鬱病と言うのは英語でdepressionと言って、
表現できない状態に陥ることなので。
楽観視って大切なんですけど、
そればっかりだと「苦しみ」を隠して、
癒せないままになってしまいます。
ただ、しかし、聞くだけ聞いて終わってしまっているのは、
確かに傷をえぐってしまうだけというか、
悲劇の物語を作ってしまうということにもなります。
深読みし過ぎなのかもしれませんが、
あの一見痛々しい質問にきちんと意味が込められていることや、
答えた人にとっていずれプラスになることを願うばかりです。
同時に、もし自分だったら何をどう聞くか、
もしくは何を伝えるかを考えさせられます。
言葉の前に、「心」を使ってこそ、
意味のあるやりとりができると思います。
「対話」を大切にしたインタビューや報道に期待します。
最後にひとつ、蛇足ではあるんですが、
Twitter上に、こんな話がありました。
NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、
「ストレスで母乳が出なくなった母親が
夜通しスーパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」
と紹介後、絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。
すぐに立ち直ったけど泣いているのがわかった。
彼もまた、同じ国に居る「人」なんです。
ましてやずっと悲惨な情報にしかさらされておらず、
おそらく国民や世界が、
いかに前向きに生きようとしているかなんて、
分かる余裕が(時間的に)無いと思います。
被災地でリポートしている人たちだって、きっと同じ。
使命感が加速して、感情を押し殺してでも、
“プロの仕事”をしようと必死になのだと思います。
とっても辛い状況で頑張って伝えてくれているんです。
被災地は被災地の悲惨さがあれば、
それを伝える側にも伝えられる側にも、
違った形で「悲惨さ」は生じてきます。
うん、ぐだりそうなのでこの辺で切り上げます。
みんな、頑張りましょう。
…違いますね、もう頑張ってますよね。
でも「継続は力なり」です。長期戦こそ醍醐味。