2011年8月6日土曜日

本気で、本気で人を好きになること

As for me, you may ask  
how I will remember him, 
what I thought of him. 

Unfortunately, there I run out of words.







一年の中でたった一日だけ、
永遠に止まってしまった日があります。


8月6日。最愛の君が旅立った日です。

今日と言う日が何度巡っても、
私はこの日だけは永遠の16歳になります。




4回忌。
私ももう、大人になってしまいました。


感情的に、悲観的に、絶望的にはなりません。
そういう時期は2年間くらい経て、越えました。

ううん、違った。
周りの人や環境が、越えさせてくれました。

3年目を機に、少しずつ元通りになってきて、
最近なんかは、喜怒哀楽を、
ほぼわだかまり無く出せるようになってきました。

自分が「自分」に戻っていく感覚は、
それなりに嬉しいことなのですが、
怖かったり、しんどかったりもします。


彼は少年のわりには博識な人だったと思うのですが、
昔、こんなことを教えてくれました。

「人って、7年で構成細胞が全部変わるんだってさ。」

私は、自分の感情を取り戻していくたびに、
耳の奥でこの声が聞こえる気がして、怖いです。

全部の細胞が生まれ変わる半分の時期が、
もう過ぎ去ってしまっているわけです。

それでもまだ、覚えていることの方が多い。
色々と抜け落ちて、美化された思い出の日々は、
何にも劣らぬ強烈な輝きで、私の中に佇みます。


私達が一緒にいたのは、12歳から16歳です。

4年間という月日は確かなものですが、
子どもの恋だ、と言われたらそうかもしれません。


だけど、(変な言い方ですが、)彼以来、
本当に、本当に人を好きなったことはまだ無いです。

理由は格好よく言えば、
私はこの恋を、人生最高の恋にしたいから。
これは自分の魂みたいな深い所が、
そうやって強く願っているような気がします。
多分、忘れることに対する罪悪感があるだけですが。

そしてもう1つとても強い理由として、
色んな意味で「離れる」ことに対して、
自分では制御できない恐怖感があるからです。
これは今まで振り払おうと試み続けたつもりですが、
全然、無理でした。


極端なことを言えば、
人が鼻で笑って寝たら忘れてしまう様な、
この「子どもの恋」が、私の恋愛観の要です。
それくらいのインパクトは、
私の人生にしっかりと刻み付けてくれました。



なぜわざわざこんなことを言葉にしたかと言うと、
やっぱりなんとなくの変化を感じるからです。

「彼のことが大好きな16歳の私」から、
そこから4年間生かされてきた存在としての私に、
ちょっとしたずれと言うか、
乖離を感じるようになり始めたからです。

私は、本気で人を好きになったことは、
一生涯、忘れないと思います。
だけど、人は7年間で変わるのかもしれません。

そういう狭間になんとなく足を滑らせています。



…なんだかんだ、悲観的になっていますね。

そんな風にまだケロイドは癒えないのですが、
この日は、私がこうして生きていることに
改めて感謝する日でもあるべきだと思っています。

ある意味、自分の第二の誕生日です。


あの日、全てを掌からこぼしてしまった私が、
ここまで生きてくるには、本当にたくさんの人と、
様々な環境に支えられてきました。

言葉にできないくらい、
心から、感謝をしています。

本当に、あの時死んじゃいたいと思いました。
だけど全ての出会いや言葉が、私を救ってくれました。

純粋に生きる力をもらったというか、
あなたがたに恩返しをするまで、
私は生きていたい。そう思いました。

「かけがえのない一人」を失って、
「かぞえきれない優しさ」に生かされました。

本当に、ありがとうの気持ちしかありません。
いつか絶対、恩返しさせて下さい。



春くん。

「好き」とか「愛してる」とか、
そんな言葉使わなくなってしまっているから、
違和感が尽きないのだけれど、
今日は特別な日だから、あの頃の当たり前に従います。

愛情も憎悪も喜びも悲しみも、
私の全ての感情の“素”をくれてありがとう。

恋や好意を悠に凌駕すると疎い気持ちをくれて、
本当に、本当に、本当にありがとう。

微かでも良いから、
同じ様な色や形や匂いや音のする心を、
あなたが感じ取ってくれていることを願ってます。


私は、はな唄を歌うように生きています。
なんとなく、でも確かに生きています。


いつか、また、どこかで会えたら嬉しいです。

その日まで、私は今をしっかり生きていきます。