実際はもっと最近なのかもしれない。
だけど、11年前の私が、
あんな風に夢を描いてくれたから、
ここまで来られたのだと思います。
昨日は仕事で東北に連れて行ってもらいました。
帰りの電車でふと思ったことがあります。
変な言い方だけど、もう、今の段階でも、
いつか子どもが出来たときなんかに、
「ママは学生の頃、夢を叶えたんだよ」
って言えるくらいには、
自分のやってみたいことって出来てるかもな。と。
もちろんこんなことを思う背景には、
不安もあります。怖さも大きいです。
だけど、11年前には考えられなかった世界を、
既に少し垣間見ることが出来ていたことは、
紛れもない事実であって、
本当にここまでお世話になった方には感謝です。
ここ数日は、柄にも無く、不安で泣いたりもしました。
「11年」は、最近は人にも言うようにしていたので、
特別な響きではなかったのですが、
改めてその時間を振り返ってみると、
自分で自分に背負わせたものの重さに動揺しました。
どうしてこんなに薄汚くて性悪な人間の中に、
愚直なまでに純粋で、もの凄く強い想いがあるのか、
自分でも不思議なほどの、異様なパワーです。
そんな、言ってしまえば“神聖な”感情に、
押しつぶされそうになって、
…電車の中で泣きました。(えへ)
でもそんな不安定な心を支えてくれたのは、
ここまで多くの方にお世話頂いた経験と、
「11年間」という自分の中に培われたものでした。
矛盾しているようですが、そんな感じでした。
今朝、身支度を終えて、鏡の前に立った時、
「11年前の私が納得する姿になっているだろうか」
そんな風に、自分の中に問いが生まれました。
まだその答えは分かりません。
だけど、納得してもらえるようにします。
絶対、そうします。
ふぅ。
始まっちゃったんですね。
いや、始まってたのかな。
11年前の私へ。
あの日の「想い」が、私をここまで支えてくれました。
夢を見てくれてありがとう。
恩返しの意味も込めて、私が叶えにいってきます。
時間かかっちゃうかもしれないけど、
もうちょっと待っててね。