こんな記事がネット上で漂流しています。
“真実だとすれば、”
奥様が永い旅に出られた、ある旦那さんの話。
妻が亡くなるまでの全てと、その後の僕の全て
最初は読まなかったんですが、
なんとなく読んでみました。
案の定、
黒い微睡みみたいなものに呑まれそうになって、
ただただ受け止めるしか無い喪失、
(日本語的に理にかなってないのはご愛嬌)
そういうものに、対峙させられた文章でした。
でもある程度こういう感情とは向き合い慣れてきたので、
それがどうとかって言いたいのではないです。
どうしても言いたかったのは、
―ただのわがままを承知の上ですが、―
人が亡くなったことに対して、
それを公言するのは、
信じられないくらい痛みを伴うことです。
人に伝えるということで、
自分自身にも言い聞かせていることと同じだから、
自分がバラバラになってしまいそうになります。
それを、
「感動した」ってなんですか。
誰かの大事な人が亡くなったことを伝えて、
感動されたら、どうしたらいいんですか。
もしこの記事のような文章を読んで、
涙が流れてきたら、
それは感動の涙なのか、考えるべきだと思います。
悲しさや辛さを美化してはいけない。
なんでも感動したって言うのはおかしい。
この記事は私のことじゃないけど、
どうしても、感動したっていう表現には、
堪え難い悔しさがうまれたので。
醜いこと言ってるのはわかっているけど、
どうしても悔しかった。
人が一人居なくなることは、
世界を失うことと同じだったりするんだから。