2011年12月3日土曜日

小6のある日思ったこと

週明けのゼミのテーマが、
「高齢化“グローバル”社会」のようなもので。

Why Population Aging Mattars

毎週、こういう英語文献を読んで、
議論する学際系統のゼミ(だと思う)なんですね。
一応、都市社会学が核な様子もありますが。

ちなみに先週まではネオリベラリズムについてでした。

まあ、ゼミのことはうちうちで理解出れば、別にいい。





昔、小学生の頃。
少子高齢化社会というワードを勉強した時、

「なぜ、子どもに少子高齢化を考えさせるのか」と。
私達、子どもなのに。とずっと思ってました。

当事者性が欠けてると言われればそうなのですが、
なんだか、もの凄く違和感がありました。



少子(高齢)化問題の文脈の中では、
子どもは未来の時代の宝だ、みたいなことを言いつつ、
その問題をなぜ未来の宝(=私達)に託すのかと。

結局当時の私達は「子どもを絶やさない為の道具」
のような存在としてしか見られていないのではないかと。



漠然とした思いですが、
もっと、子どもを大事にしてあげれば、
少子化は緩和されると思います。

昨日からキーワードみたいになっていますが、
「記憶」は未来を作ると思うんですね。

「あの時こうされて嬉しかったから、私もしよう。」
ということが時々あるのですが、
これは、記憶が行動を作っているんだと思うんです。
で、その行動が未来になっていく、という感じ。

「大事に育てられた記憶」が子どもの中に残れば、
自然と「自分も子どもが欲しい」と思うと思いますし、
「子どもが少ないから」なんていう理由で、
子どもを産む人なんていないと思うのですが。

                           

決して、子どもが欲しくないという人に対して、
あなたには良い記憶が無いとか、
そういうことを言いたい訳じゃないです。
というかそんなこと微塵も思っていない。
価値観は人それぞれで、みんなちがってみんないい。
                            



とりあえず私は、小学生のときに少子高齢化を教わり、
「大人になると本質を見失うのか」と虚しくなり、
それを思い出すと同時に、未だにそう思っている点から、

大人になってないということがわかりました。