「隠れているから綺麗」という考えは、
私が自発的に抱きだしたのではなくて、
いつも近くに居た人が時折繰り返す言葉でした。
帰り道、ふと見上げた月が欠けていくのを見て、
「あぁ今日は、なんかそういう日か。」
なんて思って、くるりの「ばらの花」を聞きながら、
ゆらゆらと欠ける月をずっと見ていました。
満月を見つけて、ほら見てと言った私に、
ああいうのは好きじゃないと言い放った。
どうして、と聞くと、言った。
「何でも、隠れている方が綺麗だよ。
満月は、全部見えてるから綺麗ではない」と。
その日から幾年月か。
いつしかその考え方は私の中に刷り込まれた。
そう。見えるか見えないかくらいがいい。
物事の瀬戸際で生きることは、きっと美しい。
今宵の月食を見たら、なんて言うかな。
同じこと、言うかな。
もうあと1000年以上見られないんだってさ。
なんだか少しセンチメンタルになった所で、
「ばらの花」の次の曲に切り替わった。
暗がりを走る 君が見てるから
でもいない 君も僕も
最終バス乗り過ごしてもう君に会えない
あんなに近づいたのに遠くなってゆく
だけどこんなに胸が痛むのは
何の花に例えられましょう