2011年12月10日土曜日

ばらの花

「隠れているから綺麗」という考えは、
私が自発的に抱きだしたのではなくて、
いつも近くに居た人が時折繰り返す言葉でした。


帰り道、ふと見上げた月が欠けていくのを見て、
「あぁ今日は、なんかそういう日か。」
なんて思って、くるりの「ばらの花」を聞きながら、
ゆらゆらと欠ける月をずっと見ていました。





満月を見つけて、ほら見てと言った私に、
ああいうのは好きじゃないと言い放った。
どうして、と聞くと、言った。

「何でも、隠れている方が綺麗だよ。
満月は、全部見えてるから綺麗ではない」と。


その日から幾年月か。
いつしかその考え方は私の中に刷り込まれた。

そう。見えるか見えないかくらいがいい。
物事の瀬戸際で生きることは、きっと美しい。


今宵の月食を見たら、なんて言うかな。
同じこと、言うかな。
もうあと1000年以上見られないんだってさ。


なんだか少しセンチメンタルになった所で、
「ばらの花」の次の曲に切り替わった。


                       



暗がりを走る 君が見てるから
でもいない 君も僕も

最終バス乗り過ごしてもう君に会えない
あんなに近づいたのに遠くなってゆく
だけどこんなに胸が痛むのは

何の花に例えられましょう