「放さないと終われないこと」というのがある、と思う。
そういうどうしようもなく生温いものを、
鞄一杯に詰め込んで、髪が孕む空気にも含ませて、
私なりに絶妙なバランスで幾日をも越えてきた。
珍しく、真剣に護ろうとしていたことがある。
どこかに幸せなまま置いてこようと決めたものは、
意外と哀しさだけ一緒に連れてきてしまったりして、
それをきちんと昇華するために、言葉にしても、
そういう割れ物めいたものを、
丁寧に割れ物として扱ってくれる人は少なくて。
よく思うのだけど、悩みとかがあるときって、
望んでいるのは「破壊」や「忘却」じゃなくて、
「視点の変化」や「取り扱い方」だったりするよね。
そんなの忘れちゃえ、というのはあまりに乱暴で哀しい。
久しぶりに会った友だちに、ふと近況を話していて、
自分が無意識のうちに除けていた最近のある出来事が、
口からどんどん零れていった。
どうしても一人では昇華できなかったこと。
だけどそんな普通には言えなかったこと。
忘れなくちゃと悩むほどでもなく、
ただ甘美で幸せな思い出があった。
でもそれはね、砂糖菓子みたいに温度や湿度、
強いては風にだって負けそうなほど繊細な作りだった。
護るというのは、多分、外に晒さないことではない。
どこかでそういう風には認識していたんだけど、
傷つけられることが分かるような場では、手放せなかった。
答えは分かってたんだけど、
持っていればいつかいいことあるかなと思ってたのかも。
友だちが口を挟まずに聞いてくれたから、
だから、私傷ついてよかったんだ、って思えた。
話[放]してみたら、やっと終われた気がする。
これでやっと、帰ってこれたのかもしれない。