2013年1月19日土曜日

割れ物めいたもの

「放さないと終われないこと」というのがある、と思う。

そういうどうしようもなく生温いものを、
鞄一杯に詰め込んで、髪が孕む空気にも含ませて、
私なりに絶妙なバランスで幾日をも越えてきた。

珍しく、真剣に護ろうとしていたことがある。


どこかに幸せなまま置いてこようと決めたものは、
意外と哀しさだけ一緒に連れてきてしまったりして、

それをきちんと昇華するために、言葉にしても、
そういう割れ物めいたものを、
丁寧に割れ物として扱ってくれる人は少なくて。

よく思うのだけど、悩みとかがあるときって、
望んでいるのは「破壊」や「忘却」じゃなくて、
「視点の変化」や「取り扱い方」だったりするよね。
そんなの忘れちゃえ、というのはあまりに乱暴で哀しい。



久しぶりに会った友だちに、ふと近況を話していて、
自分が無意識のうちに除けていた最近のある出来事が、
口からどんどん零れていった。

どうしても一人では昇華できなかったこと。
だけどそんな普通には言えなかったこと。

忘れなくちゃと悩むほどでもなく、
ただ甘美で幸せな思い出があった。
でもそれはね、砂糖菓子みたいに温度や湿度、
強いては風にだって負けそうなほど繊細な作りだった。

護るというのは、多分、外に晒さないことではない。

どこかでそういう風には認識していたんだけど、
傷つけられることが分かるような場では、手放せなかった。


答えは分かってたんだけど、
持っていればいつかいいことあるかなと思ってたのかも。


友だちが口を挟まずに聞いてくれたから、
だから、私傷ついてよかったんだ、って思えた。


話[放]してみたら、やっと終われた気がする。

これでやっと、帰ってこれたのかもしれない。