2016年9月18日日曜日

はつ恋艶書

ここには、私の全ての本音を書いてきたのですが、
書き始めた当初から、
根底にあったものだけは
ストレートに書かないようにしていました。

今日、全部書いて、一区切り付けたいと思います。


このブログを更新し始めたのは、
大学に入る頃かその前くらいだったと思います。
…以前も書きましたが、
アーカイブを付けない主義で書いてきましたので、
明確に「いつからか」は、振り返っていません。

書き始めた当初は、亡くなった初恋の人へのラブレターを、
身を削る思いで、書いていた様な気がします。
ここだけでは、何もかも書こう、と思っていました。

でも、驚くことに、もう思い出そうと思っても、
思い出せないくらい、遠い人になりました。


本当は、
私は男の人がものすごく怖いと思っています。

幼い頃、数回、知らない男の人に、
「オンナ」として傷つく扱いを受けたことがありました。

小学生のころ、まだ男の子も女の子も
水泳の授業はクラスで背を向けて一緒に着替えていた時期。
習い事の往路で、ひどく傷つく出来事があり、
自分が「女の子」であることが
嫌で嫌でどうしようもなくなりました。

それから、長く手入れをしてもらっていた髪を
伸ばすことを辞めて、スカートを履けなくなりました。
バイクがもの凄く怖くなったのもこの出来事がきっかけです。

幼い頃についた傷は、なかなか取れないようで、
中学生になっても、根底に、男の人への恐怖が拭えず、
つとめて明るく、快活に、振る舞って、
男の子は皆、「友達」になるように努力しました。
ばかばかしいけど、本当に友達にならないと、
友達になるって言うのは、一番ちょうどいいと思ってました。
付かず離れずでいられる。

それでも多感な時期ですから、
友達だと思っていた人が告白してきたりすることもあって、
その瞬間に嫌悪感がぶわーっと膨らんで、
居ないものとしてみるようになってしまいました。

それで中学生のとき、また知らない人に
すれ違い様にいたずらされる出来事が起きました。
その時通った道は、
今でも、あれ以来10年以上、通れていません。
男の人は皆ひどい、と頭に刷り込まれました。

それでも高校は、人生の山と谷こそあれど、
とても人として成長できたと思っています。
2年の頃初恋の人がいなくなって、
部活を辞めて、すごい痩せて、勉強しました。
でも、恋愛だけが引くほど何もなかった。
中学に比べたら少なかったけど、
告白されても、どうしてもダメだった。
髪もずっと伸ばせず、スカートも膝丈だった。
でも色々な人と出会って、
視野が広がって、人生の中でいいリハビリ期間だった。
あの時起きた出来事、出会った全ての人たちに、
感謝していることは今でも変わりません。


大学に入った頃、
私は、なんだったんだろう。
正直振り返ると何を考えていたか、分からない。
まともな精神状態だったことが
あったのかな、ってくらい変だった記憶しかない。
東京のキャンパスは、私にとっては広過ぎて、
何処に向かえばいいのか、何処に向かっているのか、
何も分かっていなかったんでしょうね。

”いつも男の子を「騎士」みたいにしてるよね”、
と言われたことがある。
は?と思ったんだけど、もの凄く正解だった。
見た目のフォーメーションのことじゃなくて、
私の精神的に、
男の人が怖いがゆえに、友達になるしかできず、
しかも誰かが側に居てくれないと、
歩くことさえもままならなかった。
例えとしては最悪だけど、
「盾」がないと生きることが出来なかった。
ものすごく弱かった。

スカした態度でしか生きることができなくて、
それを恥ずかしいと思っても、
弱みを見せたら、男の人にまた何かされると思って、
何もかもしんどいと思っていたこともありました。

でも一方で、
男友達と海外旅行に行ったり、
平気で男の子の家に泊まったり、
「私は警戒しているから大丈夫」という、
謎の絶大な自信のもと、危ない行動が多かった。
…何だったんだろ。

もう終わりにしなくちゃと思ったのは、
あの頃とりわけ仲の良かった男の子と
ふたりででかける約束をして、
いつものように風邪だなんだのってポシャって、
むかついて呼べばすぐ来る後輩を呼びだして、
適当にご飯を食べたその夜。
帰り道に見知らぬサラリーマンの声をかけられて、
なぜかお酒を飲んで、
ホテルに連れ込まれそうになったことがある。

その頃は醒めて考えられるようになっていて、
振り切ることが出来たけれど、
もうこんなんじゃダメだ、、、と凄く思いました。



精神的に荒んだ状態だった頃に、
彼が現れたのは、奇跡だったと思います。
あの頃、何も持っていなかった私に、
なんであんなに優しい人が現れたんだろう。

肥えきった体型も徐々に戻って行って、
髪も伸ばせるようになって、
服装にも気を使えるようになってきました。
例えと思って聞いて頂ければ幸甚ですが、
愛されて美しくなる[なろうとする]、って
こういうことかと思いました。

彼と出会ってから、全て取り戻そうと、
努力することが出来ました。
それもこれも、彼が絶えず側に居てくれて、
いつも穏やかに、見守ってくれていたからです。
それ以外に、なにもありません。


そして、去年の冬、彼が私を結婚相手に選んでくれて、
春に結婚しました。

仕事の都合も合ったので、まだあまり言ってません。


今はもう、
誰がココを読んでいるか、知りません。
だけど、ここは私のホームです。
その時思っていることを書いてきた場所なので、
今日もずっと思ってきたことを書きました。


私がもう、身を削ってラブレターを出す理由は、
なくなってしまったように思います。


いままでありがとうございました。
どこかで出会ったら、またよろしくお願いいたします。


2016年9月11日日曜日

すだちそば

会社の昼休み。
気の合う子と築地のそば屋にいった。
いい天そばを頼んだ。
帆立の天ぷら、すき。

話題の映画を見たけど、頭が追いつかなかった。
と白状したら、あーわかるかも、見てないけど。と言われた。
こういうこと言うから、仲いい。

その子が食べてたすだちそば、
良い香りだった。
夏が終わるね。


アニメって、見てから気づいた?けど、
やっぱり人が出てくる訳ではないから、
澱みがないと言うか、
どんなに色がキレイに表現できる時代になっても、
黒か白しかないような気がすると言うか。。。
本物に近づけようとすればするほど、
これは偽物なんだなって、確信できると言うか。

こんなことを熱弁したい訳でもないけれど、
好きになれないな、って漠然と思っていた理由が、
分かった気がした。

ヨゴレのないものっていうのが、苦手なのかも。
生きてるって、汚いものがあるのが普通だから、
それを隠されるとものすごく不自然に感じる。

その過剰なピュアを、一番盛り上がる場面で
全力で高められると、手を伸ばして飛んでも、
届かないところで絶頂を迎えられてる感じ。
「…お、おう」しか言えない。
置いていかれた、とも思えない。
ついていこうと思えなかったから。

あと、すくわれる話が苦手なんだ。


もっと帆立に水気が合っても好きだな、
お塩がうぐいす色のやつがよかったな、とか、
ちょっと面倒なことを思いながら食べる方が、
私は、食べてる感じがするんだよね。
満たされない方が、かえって満足できる。

今度は何食べよう。


2016年7月29日金曜日

人生はルノワールの画の中に

愚痴を言うことを嫌う人がいるけれど、
いやだな、って思ってることを体の外に出すことは大事です。

言葉にするだけで、明日も笑顔になる余裕が少しできるなら、
言えば良いじゃない。私は聞くよ。


私は画家のルノワールの画がどれも大好きです。
優しい風が吹いているように見えるし、
あたたかな色調の絵は、太陽の様ないいにおいがする。

そんなルノワールの教えの一つが、私にはとても響いています。
「現実はつらいことばかりだ。だから絵の中は幸せ一杯の色で満たそう」
明確な文句まではわからないのだけど、
こんなかんじのことをモットーに生きていたんだそうな。

社会人になってから、
ああ本当に行きているだけで辛いなって思うことがたくさんある。
学生のうちだけ、なんて言われる所以も今の時点で分かる。

それでもさ、
「幸せに生きていきたい」っていう希望は捨てられない。
周りの人は笑ってて欲しいし、
みんなに元気で居て欲しい。

ルノワールの言う「絵」の部分を自分の中につくるのは、
ひとりじゃ難しいと思う。

それこそ不満を口に出してみることで、余裕ができるなら、
そのためには、例えば、
人生をこの角度から見たら鮮やかに見える、というような、
別の視点とかがあるといいと思っている。

そういうときに、こいつ変な奴。あわないわ、
なーんて思ってる人が鍵だったりするのかもしれないよ。

しゃくに障るって言うのは、たいていが自分にとっての異端者なわけで、
実はただ単に「新鮮な存在」ということが多い。

出会った人たちの中に、出会う必要の無かった人なんていないと思う。

2016年6月25日土曜日

楊柳の風に吹かるる如し

癖のある人とも、
そこそこうまくやってきている、と思ってた。

しかもそれは自分の中で、
「ふふん」なポイントだったっぽい。

翻しては。
まともな人との付き合いが苦手なことに気づいた。
すごくまともな上司に変わった瞬間、
仕事がうまく進まなくなった。
すごい人間的にまともな人なのに、もかかわらず。


どんな風が吹いてきても、
その風に乗ってかわせる気で居たけれど、
風が吹かないときに上手に生きることができない。
体幹がクソ甘だから、静かに立っていられないのか。

長々と感じていた生きづらさを成している要素の一つを、
はっきりと実感した。

2016年3月30日水曜日

価値

昔から、老けてると言われる。
そんなダイレクトな言い方をされることは少ないけれど、
つまりは「老けてる」って言いたいことが、
よぉく分かる言い方で。

それなりに気にする反面、
早く年相応と言われる年齢になりたいと思っていた。
だって、
そんなになんでもきゃーきゃーできない。
そんなにフリフリぺらぺらした服着れない。
そういう派手な化粧はしたくない。
そんなつまらないもの食べたくない。

歪んでいるとは思うけれど、
そんな風な気持ちとのバランスを取るのは、
面倒で仕方が無かった。
特に同じ年の女の子と並ぶのは苦痛だった。
…結局は、コンプレックスだったのかな。

言ってしまえば10代後半から最近まで、
そこそこ生きにくかった。

25歳になった時、
少ししてふと思ったのは、「解放」の二文字だった。
やっと、好きな装いや好きな場所が、
周りにも浮かない年齢になった気がして、救われている。


学生の頃、年上のある人に言われた。
「君は27くらいが一番良くなる。でも29位までだな。」
これは別に運気の話じゃなくて、女としての価値のこと。

ちょっとお金もって、ちょっと役職ついちゃって、
みっともないおっさんの戯言ひでぇと思ったけれど、
真意を突いているとは思っている。
少なくとも、私にとっては正解だった。

だから私、間違ってない。
私だけの意見じゃないもの。

尚更、今更、あなたのものにはならない。